アフォリズム
この名言は「アニーホール」に引用されているのでウディ・アレンのものと思われているようだが、オリジナルはマルクス兄弟のグラウチョだ。蓋し名言だと思う。友人T君にいたっては、自分を好きになる女なんて趣味が悪いわけだから大嫌いだと言った。大笑いし…
人が長々と文章を綴るのは、あれはなにも管を巻いているのではなく、飽くまで読み手を説得する為なのです。いや、そのはずなのです。
http://www.iidanet.or.jp/~takagich/2003.11.09.sekkyou.htm
「私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。生れて、はじめて君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない。」−太宰治「走れメロス」より
先生が言われた、「村で善人と言われる者は、[うわべだけ道徳家に似ているから、かえって]徳をそこなうものだ。」
先生が言われた、「年が四十になっても憎まれるのでは、まぁお終いだろうね。」 あと十年か、嫌な予言だ、、ブルブル。頑張ろう。
そこに救いがあるとすれば、、、 .
太宰の数あるアフォリズムの中でも僕が一番気に入っているのはこれである。初めてこの言葉に接した時はニヒリズムしか感じなかったが、最近はこの言葉の向こうに諦観を超えた意思を感じる。
どいつもこいつも、そして自分も。とんでもない石頭ばかり。